考えない練習

「考えない練習」の作者は、ネガティブな考えごとは刺激的といいます。ネガティブという言葉のイメージと、刺激的というワクワクする時に使うイメージのギャップが面白い分、ハッとさせられます。

考えない練

著者 小池龍之介

著者は、月読寺(東京都世田谷区)住職、 正現寺(山口県)副住職でありながら、ウェブサイト家出空間を運営されたり、お寺とカフェの機能を兼ね備えた「iede cafe」を開いたりされています。

心配したり、悲しんだり、マイナスの感情は脳にとって刺激的なことと分かれば、なんで考えるのをやめたいのにやめられないか、腑に落ちます。

この思考することによって、さらに新たな刺激を心に与えようと、どんどんネガティブな方向へと暴走してゆくようにプログラムされるというわけです。

こういった、無駄な思考のループは、目の前の出来事を無視して過去の失敗などの思考にどっぷりはまるのです。そして、エネルギーを消費してしまい、日々何となくの疲れを感じるそうです。

この無駄な思考をしないように、その時に最も適切な必要最低限のことだけを考え、排除できるか?また、どうすれば煩悩を克服できるか?

それが仏道のスタートであり、ゴールでもあるといいます。

自由に考え、自由に話をしているつもり

私たちが自由に思考していると思っていても、それは「刺激によるインプット」と、「思考が自動的に反応するアウトプット」だけだと作者はいいます。

その事がわかっていないので、反射的に言葉を返してしまい、コミュニケーションがうまくいかなくなると。

例えば、自分の話を聞いてほしくてしようがない時を考えます。話し手は少しでも多くの情報量を会話に詰め込みたくなる欲の煩悩により、どんな内容の話だったとしても、聞いてる人の怒りの煩悩をよびおこしてしまい、話し手の言いたいことは伝わらなくなります。

自分の声に耳を傾けよう

上手に伝えるため、相手に聞いてもらうためには、相手に余計な苦しみや刺激を与えないぞという気持ちが大切です。

その方法として作者が提案しているのは、常に自分自身の声に耳を傾けながら話すことです。自分ののどを響かせている音の刺激に意識を集中していると、思考から離れて自分の話し方が見えてきます。

大声や早口になっていて、不快な音を出していれば気づいて修正することができます。そうすることで自分も落ち着くし、相手もリラックスしてきくことができるでしょう。

相手の声も集中して聞いてみよう

自分が聴く側になった時もこの方法は有効です。今度は話し相手の言葉を内容としてではなく、「音」に意識を集中してみることで、相手が一体どういう心境なのかが分かります。

そうすれば、例え自分に批判をあびせるような嫌味であっても、こんなことを言うということは、「苦しみ=ストレス」からきた発言なのではないかと思うことができるといいます。

そこまでできるようになれば、反射的に相手の言葉に怒ることもなくなり、無駄に嫌な気持ちになったりせず穏やかな気持ちになれそうです。

そういう風に思い込んでもだめで、しっかりと相手の声を観察し、本当にその通りだ!と思わなければ、そういった心持ちにはなれないということなので、少しずつでも練習したいです。

慈悲の心を育てよう

慈悲という穏やかな心持ちは、他人にとってというより自らのために育てることを提案されています。思考のノイズを静めてくれる働きがあるからです。

そもそも慈悲の心というのはどういうものでしょう?

慈悲の心というのは、間違えて捉えられていることが多いと書かれています。

例えば困った人に対してのアドバイス。これは反射行為だそうです。

困っている人にしてあげられる最も大事なことは、静かにしていてあげることで得意げにアドバイスをすることではない。黙って話を聞いてあげることこそが、弱っていたり困っている人が求めていることなのです。

じっくり寄り添って相手の望んでいることを聞いてあげる。ただ、ただ聞いてあげるだけで少しでも助けになるかもしれないのに、つい「自分の意見を押しつけたい」欲が出てアドバイスをしてしまう。

これは結構おちいってしまうので、よくよく気をつけていきたいです。

つい何かアドバイスを言わなくてはと感じてしまう。そういう時は同情してためになることを言ってあげなくちゃ……このような「親切」をしたくなってしまう時の心の動き。それは一見、優しさのように見えますけれども、実際は思考ノイズの反射反応にすぎません。

考えない練習