翻訳アプリが進化してもやっぱり英会話ってやってみたいから…

英語を話せるようになりたい!そう思って独学を始めて、ついには社会人短期語学留学までやってみた。

留学してみて良かったと思うし、今でも何となく英語を鍛えようという姿勢(お菓子作り動画をできるだけ英語で聞こうとか、最近よく見るストリートファイターの海外大会を英語バージョンで観ようとか、そういう感じ…)はある。

まだまだ聴けてないことだらけだし、ペラペラ喋れるわけでもないけど、年々英語に親しみが出てきて抵抗感なくなってきた。

そんな自分の体験から、当時より遥かに言葉の壁がなくなっている現在でも、興味のある人には留学や海外旅行をおすすめしたいなと常々思ってこの記事を書いてみようと思った。

英語なんて話せなくていい時代がくると言われるけど…

英語を独学しようと思ったとき、当時は今みたいに翻訳アプリも簡単に使えるAIもなく、高級な翻訳ソフトが売られているような時代だった。

それでも年々進化していってるし、ネット翻訳も出てきていたから、

「今からの時代どんどん翻訳ソフトが発達してくるのにわざわざ英語勉強する意味ないでしょ」みたいな事を言われはじめていた。

真剣にヒアリングの特訓(といってもひたすらポッドキャストを聞くだけ)をしている時に、「そんなので英語ができるようになるの?いつかAIが翻訳してくれるようになるよ」みたいに言われ、

「そりゃそうでしょ!いつかはそんな時代になるよ!」

なんて言い返しつつも、「そりゃ、本当にそうなったら意味ないけどさー」って内心思ったりもした。

でも…、

翻訳したいわけじゃない

まあ、翻訳ソフトは毎年進化してるし、今からどんどん向上するんだろなぁくらいには思っていたけど、私としてはただ翻訳がしたいわけじゃないんだ!

単純に、ふんふん、こういう意味なのねって思えばいい場面でも、それを肌で実感したい。

どういう場面でそういう会話になるのか、例えば日本語で「了解!」とかいうのだって、笑いながら軽いニュアンスの会話でも使うことあるし、重い内容の返事にも使えるし、「はーい、了解〜」みたいに伸ばしても使うし。

もちろん日本語なら、普段どんな場面で使っていいかなんて考えない。そんなシチュエーションの違いをいちいち考えなくても会話が成り立つようになりたいみたいな。外国人になりきってみたいみたいな。多分そんな感じになれば英語が話せるようになるんじゃないか。

だって、子どもが話せるようになるのって、生活を通した会話の繰り返しじゃない。

そう思ってた。

違う文化圏の人の会話を体験したい

それに、同じ日本でだって、同じ言葉を使っても若者と年寄りじゃ違うんだし、言葉って単に意味を翻訳するだけじゃないところがあるわけで、それは暮らしの中で自然と成り立つもの、多分文化的なものに通じるから、結局は英語を学ぶというよりは、その国の文化や生活環境を知るみたいなところがある。

それは、実際に現地に行かないとわからないし、留学みたいな実際の生活をしないと分からないと思うんだ。

逆に日本に良い印象がもてるかも

そして、そうやって海外に触れるからこそ、日本のことが色々わかったり、愛着を持てたりするんじゃないのかなーと、年々思うようになっている。

特に海外では、日本のことを褒める人が多い。アニメやゲームが好きな人やスポーツ、抹茶や着物みたいな芸能文化が好きな人もいるし、世界でも人気な企業もたくさんある。

よく考えたらこんな小さな島国から世界で知られるたくさんのヒーローがいる訳で、改めて確かにすごいことだと思う。

私の場合、日本に不満があったり、ニュースで日本の将来の不安が煽られて、なんとなく不安なのかなって思い始めていたときに、英会話サークルみたいな海外の人と交流を持つ機会を増やしていって、1人で海外旅行したり短期の留学をしたわけだけど、そんな時の会話に「日本はすごい」みたいなのが混じってると、なんか照れくさかった。

そう?すごい?とか返答しつつも内心嬉しくなったことが度々ある。

その頃の自分は、ある意味井の中の蛙みたいだった。大海に出て初めて外国人に日本の良いところに気づかされるなんて。