Blender はMaya、3ds maxなどと同じDCCツール(統合型の3DCGソフト)です。オランダで生まれたフリーソフトで、世界中で利用されています。モデリング、質感付け、アニメーション、ポストプロセス処理、動画編集を全部まかなえちゃう優れものです。
Mayaや3ds maxは年間数10万の出費ですから、副業で製作したい人にはかなりありがたいソフトと言えます。しかも、かなり本格的に作成できるので、企業で本格的に利用しているところもあるほどです。
使い始めて1週間経ちました。やっと2個作品を完成(砂漠と砂漠の中の黄金ザル・・・このサルはスザンヌちゃんという名前です)したところで、Blenderの凄さに感激しつつ知り得た豆知識を共有しておきたいと思います。誰かの役に立てたら嬉しいです。
もくじ
Blenderの公式サイトを間違えていた!
調べ物をしていて、よく見ていたサイト「blender.jp」。てっきり公式のページかと思っていましたが、違っていました。ロゴマークもそれっぽいし、.jpとついていますので分かりづらいですね。
公式は「https://www.blender.org(英語のみ)」でした。
blender.jp は非公式の個人のサイトで、Blender.org(公式)に属していないそうですが、相互リンクされているとのことです。日本語の掲示板などもあるので初心者にはありがたい存在ですね。
Blenderアーティストのサイトもあるよ
Blenderで活躍されている方は「blenderartists.org」で情報公開がされていることが分かりました。このサイトでは、自分の作品を公開したり、仕事の依頼や操作の質問などを投稿できるサイトとなっています。英語のサイトですが、登録すると便利そうです。
Blender IDとは
blenderartists.orgに登録する際に選択できる「with Blender ID」というのが気になりました。Blender IDというのは、Apple IDやGoogle アカウントのようにBlenderストアで利用できるIDです。Blenderは無料でダウンロードできるのに何がストアで売っているのかというと、Tシャツなどです。
Blenderの収益源は?
こんなに素晴らしいソフトなのに、無料。さては何かあるのではないか・・・と思うほどです。一体収益源はなんだろうと思い調べてみると、主な収益源は寄附とストアの商品ということでした。寄附は個人のものもあれば、法人向けのものもあり、月額の金額によってレベルがあり、ロゴを掲載したりリンクを貼られるというものです。名だたる会社の名前が連なっており、なるほどといった感じです。
過去に日本語バージョンのBlenderロゴがあった!?
公式ページでは、過去のロゴが閲覧できます。その中に、なんとカタカナで書かれたブレンダーの文字。
実はBlenderも元々は有料ソフトとして紆余曲折な歴史があります。公式サイトによると、「Not a Number(NaN)」という会社名で販売されていた経緯があります。しかもそれが日本にもオフィスがあったと記載がありますね。それでこのロゴなんですね。ところが、事業はうまくいかず、最終的にはオープンソースとしての今のBlenderとなりました。
1988年、Ton RoosendaalはオランダのアニメーションスタジオNeoGeoを共同設立しました。NeoGeoはすぐにオランダで最大の3Dアニメーションスタジオになり、ヨーロッパでも有数のアニメーションハウスの1つになりました。NeoGeoは、多国籍エレクトロニクス企業であるフィリップスのような大企業クライアント向けに、受賞作品(European Corporate Video Awards 1993、1995) を作成しました。NeoGeoでTonは、アートディレクションと社内ソフトウェア開発の両方を担当していました。慎重に検討した結果、Tonは、NeoGeo用の現在の社内3Dツールセットは古すぎて保守が面倒であり、一から書き直す必要があると判断しました。1995年にこの書き直しが始まり、Blenderとして知られる3Dソフトウェアが生まれました。NeoGeoがBlenderの改良と改善を続けるにつれ、Tonは、BlenderがNeoGeo以外の他のアーティストのツールとして使用できるようにすることを考えるようになりました。 1998年、Blenderをさらに売り込み、開発するために、TonはNeoGeoのスピンオフとしてNot a Number (NaN) と呼ばれる新しい会社を設立することを決めました。NaNの中核は、フリーで、コンパクトなクロスプラットフォーム3Dアプリケーションを作成して配布したいという願望でした。当時、ほとんどの商用3Dアプリケーションは数千ドルもするので、これは革新的なコンセプトでした。NaNは、プロレベルの3Dモデリング・アニメーションツールを、コンピューティングを使う一般の人々に届けることを望んでいました。NaNのビジネスモデルには、Blenderを中心とした商用製品とサービスを提供することが含まれていました。1999年、NaNはBlenderをより広く宣伝するために、SIGGRAPHカンファレンスに初めて参加しました。Blenderの最初のSIGGRAPHコンベンションは大成功で、マスコミと出席者の両方からたいへん関心を集めました。Blenderはヒットし、その大きな可能性が確認されました! 2000年初めのSIGGRAPHカンファレンスの成功により、NaNはベンチャーキャピタリストから450万ユーロの資金を確保しました。この大量資金の入手により、NaNは事業を急速に拡大することができました。すぐにNaNは、世界中に、Blenderの改善と促進を行う50人もの従業員を誇っていました。2000年夏に、Blender2.0がリリースされました。Blenderのこのバージョンでは、3Dアプリケーションにゲームエンジンの統合を追加しました。2000年末までに、NaNのWebサイトに登録されたユーザー数は250,000人を超えました。 残念ながら、NaNの野心と機会は、当時の会社の能力と市場の現実とマッチしていませんでした。この過剰な拡張により、2001年4月に新しい投資家の資金とより小さな会社でNaNは再開させることになりました。6か月後、NaNの最初の商用ソフトウェア製品Blender Publisherが発売されました。この製品は、インタラクティブなWebベースの3Dメディアの新興市場を対象としていました。売上げは期待外れとなり、厳しい経済情勢が進み、新しい投資家はすべてのNaN事業を閉鎖することを決定しました。シャットダウンには、Blenderの開発中止も含まれていました。複雑な内部ソフトウェアアーキテクチャ、未完成の機能、標準ではない方法で提供されるGUIなど、当時のバージョンのBlenderには明らかな欠点がありましたが、過去にBlender Publisherを購入したユーザーコミュニティと顧客からの熱心なサポートがあり、TonはBlenderを無意味にフェードインさせることができませんでした。十分な数の開発者チームを持った会社を再開することはできなかったため、Ton Roosendaalは2002年3月に非営利組織Blender Foundationを設立しました。
Blender manual Blenderの歴史より
Bagapie Asset
木を作ろうと思って辿り着いた「Bagapie Asset」。Gumroadで購入してみました。Gumroadはデジタル商品の販売ができるサイトです。Blenderアーティストにとってここでの販売はメジャーのようですね。