カウンセリングを語る(上)

最近カウンセラーという職業もよく目にするようになり、心の本もたくさんでています。
そういった本を読むと、カウンセラーというものはよくできた人なのだなとか、苦しい話をきいてよく平気だなとか思ったりするのですが、この本を読むと想像とは違いやはり大変なお仕事だということがよくわかります。

実際にカウンセリングとはどういうものか、カウンセラーがどうやって身も知らない他人の悩みや苦しみを受けとめることができるのかが書かれています。そして対処していくまでの苦労とカウンセラーという職業の難しさがわかります。職業としてではなく、一般の人も、もしも自分が聞く役になるかもしれない時に思い出してほしいエピソードとなるでしょう。

この本は、「四天王寺主催のカウンセリング研修講座」において、毎年一回、二十年にわたって話された内容から選びだし訂正加筆したものを上下二巻に分けられたものです。

著者:河合 隼雄

著者の河合 隼雄さんは、臨床心理学者であり幾多のカウンセリングを手がけられています。あの村上春樹さんとの対談もされていて、「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」という本になっています。

専門であった臨床心理学はもちろん、教育・文化・社会・児童文学など幅広い領域にわたって多くの仕事を残されています。

私は「こころの処方箋」という本を読んで、著者の生き方や想いが厳しくしっかりと、でも優しい雰囲気で綴られていると感じ他にも読んでみたくなり、この「カウンセリングを語る」を手に取りました。

カウンセリングの根本

とにかく印象を受けるのは、これほどの方でもカウンセリングを簡単には捉えておらず、日々自身の鍛錬を行っていて、自身の職業を重く捉えられているということです。このようにカウンセリングという職に向き合っている人に相談できる方は、確かに回復していくのだろうと感じました。

ですが、それをカウンセラーのお陰(河合さんだから)というわけではなく、「自分のお陰だとは、決して思わない」というのがカウンセリングがうまくいく条件だと書かれています。

一度うまくいっても、同じ調子でやればいいんだなどという気持ちで次もやりがちだけれど、そういう気持ちになっていると聞いていてもうまくいかないそうです。

カウンセリングの根本は、結局はクライエントが治っていくということです。クライエントがクライエントの力で治っていく—-

—-熱心に聞いたということはほめられるべきかもしれませんが、私が治したということはない。

カウンセリングを語る(上)

聞く時に、つい質問をしてしまうわけ

相談に来ている相手に対し、聞くだけではなく、質問をしてくる人が多いようですが、それはカウンセラー(聞く側)が、自分の今までの考えや、人生観の中に「ああ、これだな」みたいに位置付けをしたくなるからだそうです。そして、自分の心の中に相談者が収まると大体の予測がつくので安心して聞けるというわけです。

そうやって勝手に相手をラベリングすることで、目の前にいる人を自分の頭で理解してしまい、相手のことをありのままで見ることができなくなり、聞けていない状態になってしまいます。

へたな人ほど自分の考えで、生きたクライエントを殺してしまって、昆虫の標本みたいに頭の中に入れてしまう。ぼくらは標本をつくるんじゃなくて、飛んでいるチョウチョウをそのまま見ていこうというのがカウンセリングです。

カウンセリングを語る(上)

世界が仕事をする

とても大変な仕事で、もちろん著者も限界を感じるのですが、「世界が仕事をする」という考えのもとに仕事をされているそうです。

自分が役に立てる時だけ頑張る。そうでない場合はただ座っていたらいいといいます。相談者の周りのみんなが色々絡み合って助け合って治っていくと。そうすることで、自分に限界があるんだけれども、その限界を知っているからこそうまくやっていくことになる。

自分が役にたったというのではなく、「できる人が、どれだけうまく動いていくか」ということを常に考えているということです。

本当に縁の下の力もちという仕事であって、そういった働きができるような聞き方ができる人は本当に素晴らしいと思います。

カウンセリングを語る(上)