アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉(小倉 広著)から気になったものを書き留めておきます。
世話好きな人は、単に優しい人なのではない。相手を自分に依存させ、自分が重要な人物であることを実感したいのだ。
アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉(
心配だから〜という風なセリフはよく聞くし、自分も使いがちだったので、この言葉は結構ショックなものでした。
確かにもし相手のことを信頼していれば、相手が1人で解決できる力があり、それを見守ることができます。
自分がいなければあの人は〜できない、大丈夫かしら、心配だわというのであれば、それは上から目線で相手を見ているという事なんですね。
「私がいなくては、相手は何もできないんです」。そう言って、自分が重要な人物であることを証明しようとしているのだ、とアドラーは指摘しているのです。
大切なことは「共感」することだ。「共感」とは、相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じることである。
アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉
かわいそうな境遇や、辛い出来事があったなどと聞いた時、「かわいそうに」「つらかったですね、大変だったでしょう……」と言ってしまうことがよくあります。
これは同情をしていることになり、自分の感覚を相手に押しつけてしまうことでもあります。
同情とは違い、共感とは相手の関心に対して関心を持つことと説明されています。
同情したり自分の感情を押しつけたりする人は、相手の関心ではなく自分の関心に関心を持ち、自分の関心を相手の状況に当てはめてしまっている状態なのです。
他人の課題を背負ってはいけない
アドラーがいう課題の分離。それはどのように判断するのかというと、「その問題を放置した場合、不利益を被るのは誰か?」を考えて、それが自分でなければ他人の課題といえます。
他人の課題に土足で踏み込まない。無視するのではなくただただ支援する。そして、その支援する準備があるということだけを相手に伝え、そっと見守る。もし自分にできることを頼まれたらそれは自分の課題として、処理する(自分にできることなのかどうかの判断も含めて)。
そしてその回答などに対して、相手がどうのように感じるかは「相手の課題」です。それを自分の責任のように背負いこむというのは、まだ「課題の分離」ができていないのです。相手の課題には責任を感じてはいけません。勝手に背負わないことが肝心。