執着しないこと

著者「アルボムッレ・スマナサーラ」の「執着しないこと」は、「こだわらない」ことでしつこい「怒り・不安・嫉妬」がなくなるという本です。似たような本はたくさんありますが、「本来人間が持っているエネルギーが、成長するにつれてどんどん漏電していってしまう」ということはどういうことなのかが興味があったので読んでみました。

著者

著者の「アルボムッレ・スマナサーラ」氏は1945年にスリランカで生まれ、13歳で出家。スリランカの国立ケラニヤ大学で仏教哲学を教え、1980年から日本で活躍されています。駒澤大学大学院博士課程を修了し、現在も初期仏教の伝道と瞑想指導をされています。

メディア出演や全国での講演活動で大きな反響を呼び、多くのファンがいるそうです。

著書には、「仏教の教えがわかる本」や「瞑想のすすめ」などがあり、初心者から熟練者まで、幅広い読者に向けて仏教の教えをわかりやすく伝え、現代社会での生き方についてのアドバイスが書かれています。

余計なことを考えるから、ストレートに「思い」が伝わらない

子供達が「あれほしい、これほしい」という時は、余計なことを考えていません。だからとてつもないエネルギーを持っていて、大人は「ほしい」という素直な気持ちにあれやこれやと、思考が始まってその純粋な「ほしい」という気持ちが弱まります。

例えば面接などでも、この余計な思考が邪魔をして熱烈な「ここで仕事がしたい」というアピールができなくなると著者はいいます。

そういう風に大人になるにつれ、思考が本来皆が持つエネルギーを奪っていくそうです。

エッセイやブログを書く上でもそうだなと思いました。たとえば、「こう書いたら〜と思われてしまうかも」などという思いが浮かぶと、とたんに書けなくなります。素直に自分の気持ちと向き合って書いた文章はストレートに思いが伝わるので、読む人の心を動かすのでしょう。エネルギーを奪われないように頭に入れておきたいです。

情報そのものには、「いい」も「悪い」もない

そして、考えれば考えるほど、現実や事実から離れてしまい、いわゆる「妄想」の世界に入っていきます。そして、妄想の中で閉じ込められ、出られなくなります。著者は「妄想」から脱出する方法として、次のことを提案しています。

「主観」の殻を破り、理性的に客観的に判断する能力を身につける

 まずは、外部からそのまま情報を受け取り、そのまま区別して、理性的に客観的に考え判断することで妄想から脱出できるといいます。なぜなら、情報を捻じ曲げているのは私たち自信だからです。

情報を受け取った途端に、自分独自のフィルターに通し、自分の主観でその情報を解釈しようとするところに問題があると。本来、人が発する言葉はただの「音」、それに意味づけするのは他でもない自分だということです。あれこれ連想し、怒りの感情がうみだされる「妄想」になると。

それを防ぐために、自分の感情を遠くから見て、「今怒ったぞ」「〜という言葉に傷ついている」などと、自分で実況中継して、自分の思考を俯瞰する方法が思考をストップするのに役に立つそうです。

「私こそ正しい」が、あなたを苦しめる

主観を外すといっても、仏教でいうところの「悟りの境地」に至らなければ「自我」を消すことはほぼ不可能で、その自我がある限りどうしても「私」という概念が登場し、そこから怒りなどの厄介な感情が芽生えてしまうそうです。

生きている限り、「自分」は消せない—
「私こそ正しい」「私は完璧だ」と思うゆえに、怒りや悩み、落ち込み、欲といった感情が生まれます。

執着しないこと (中経出版)

「完璧な自分」でいる必要はあるのか?

そう言った感情は、自分の中で苦しむだけでなく、もしかしたら周りにも影響がいきます。完璧な自分という妄想から早く抜け出していく必要があり、その方法は「私は完璧な人間ではありません。でも、だから何ですか?」というスタンスを持つことだそうです。

この世に存在するすべてのものが不完全なのに、それを理解していないから「私こそ正しい、完璧だ」なんて錯覚するといいます。

自分にできないことがある、もちろん他人も同じ。それがわかっていれば、自分ができないことは他人に助けてもらうと「自分の不完全さを認める」そして「開き直る」こと、つまり、お互いがそういう風に生きていく、持ちつ持たれつで世の中を回していくということです。

それをしっかりと頭にいれていれば、無駄にエネルギーを使わず心が軽くなり、生きるのがもっと楽になると著者はいっています。

モノは使っている瞬間に幸せがある

この本では他にもモノやお金などにも触れています。「私のモノ」という所有の意識をできるだけ薄めていくことで、なかなか捨て去れない執着を減らすことができるからです。

何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでいく

執着しないこと (中経出版)

「モノは使っている瞬間に幸せがある」と著者はいいます。結局、どんなにいいものも飾っておくだけでは意味がないのです。そして、他人のためにも使うようにすると、もっと幸福感がえられます。

私もなかなか読んでいない本などを手放すことができませんが、読んでもいないし、手にもとっていない本を最近売ることにしました。捨てるのが忍びなく、かといって買取にだして「新たな値段(価値)」をつけられるのが抵抗があったのですが、そうこうしている間にこの本たちを読みたいと思っている人に届けるチャンスが途絶えていると思えば、とにかくここにとどめておくよりはどこかに旅立たせる方がいいと思えました。

ここにとどめておきたいというのが執着なんでしょうね。その点、kindleなんて削除してもすぐにダウンロードできることから、ある意味執着を手放す感覚が身に付くのだろうか、それとも結局はダウンロードできるから削除しても平気と思えるだけで逆に執着心がつくのか、どっちなんでしょうね・・・。

執着しないこと (中経出版)


アルボムッレ・スマナサーラ